BtoB広告協会会報誌に、2025年から連載をはじめた<次代のブランディングシリーズ>。
2025年10月号と12月号、2026年2月号に引き続き、ハルの執行役員であるクリエイティブディレクターのコラムが掲載されました!トピックは、「デザインのわかるマーケッターがBtoB企業の意思決定をスピードアップする」です。全文を下記へ掲載します。


デザインは、迷いを断つ「判断の物差し」
企業のコミュニケーションを担う担当者のデスクには、各部署からの要望が日々たくさん届きます。「資料に載せる情報を、もっと整理してほしい」「ホームページを、パッと見てわかるものにしてほしい」など。その中には抽象的な依頼も多く、膨大な要望に配慮しつつ方向性を間違えないようにすればするほど、判断が後ろにずれ込み、会議や確認だけが積み重なってしまいがちです。市場や技術、社会の変化が同時に進み、一つの正解を見つけにくくなっていることが大きな要因となり、判断を難しくさせているのです。営業は「何ができる製品なのか」を前面に出そうとし、開発や事業部は「機能や正確性」を守ろうとします。一方、経営層は、その全体が「方針として正しいか」を気にしています。そうして全方位に慎重に配慮した結果、できあがるのは「誰からも文句の出ない、無難な制作物」になるわけです。
ここで起きているのは、情報の不足ではありません。情報はたくさんあっても、「誰に」「どんな意図で」伝えるのかが整理されないまま、各部門がそれぞれの言葉で語っていることによる「翻訳のすれ違い」が起きていると言っていいかもしれません。つまり、企業の成長を左右するのは、膨大な情報の中から「何を伝え、あえて何を伝えな いのか」をコミュニケーションの最前線で決める力なのです。この「判断を引き受ける」ことこそが、本質的な意味での「マーケッターの思考」と言えます。画像そして、その「決める」ための頼もしい物差しとなるのが、「デザイン」なのです。
デザインとは、単に見た目を美しくすることではありません。複雑に絡み合った社内の要望を整理し、「今回はこれでいく」という優先順位を可視化するための「判断の物差し」です。仕事の本質は、「企業の意志を形にする決断」にあります。求められるのは、これまでの考え方を少しだけ更新して、視野を広げることです。
「デザインのわかるマーケッター」とは
マーケッターの役割は、データを分析して広告を運用する、あるいは商品を売り込むための施策を考えるといった職能だけではありません。現代におけるマーケティングの定義はもっと広く、奥深いものです。アメリカ・マーケティング協会(AMA)によれば、マーケティングとは単なる売買プロセスではなく、「顧客、パートナー、そして社会全体にとって価値のある提供物を創造し、伝え、届け、交換するための活動」とされています。ここで重要なのは、対象が「顧客」だけでなくパートナーや社会など「ステークホルダー全体」を含んでいる点です。
株主や従業員に向けてメッセージを発信し、社会課題に対する自社の姿勢を表明する広報・宣伝・事業企画などに携わるみなさんは、すでにこの広い意味での「マーケティングの実践者」として企業と社会の間で「価値」を交換し、関係性を築く行動の最前線に立っているわけです。では、その最前線で求められる「デザインのわかる思考」とは、具体的にどのような視点なのでしょうか。大きく2つのポイントがあります。
1. 「社内」ではなく「市場」に向き合う
意思決定の現場には、様々なプロフェッショナルがいます。プランナーは斬新な企画を立て、デザイナーは美しい理想を描き、経営者は理念を語ります。しかし、それらは言わば「矛盾の交差点」に立つようなものであり、しかも時には「一過性のアイデア」や「絵に描いた餅」、あるいは「売上とは異なる理想」であったりします。したがって、それらをただ単に足し合わせただけでは、ビジネスとして機能しない難しさがあります。
ここで言う「マーケティング的な視点」とは、それらすべての判断が「本当に市場で成立するのか(顧客に届き、かつビジネスになるのか)」を、フラットに見つめる姿勢のことです。「これは誰の人生のどの瞬間に響くのか?」 「それは本当に顧客の課題なのか?」 「機能だけでなく“意味”で説明できているのか?」 こうした問いを、常に自分自身に投げかけ続けることが大切です。この「市場の現実」と「社内の理想」の狭間で、バラバラになりがちな要素を一つの矢印に束ねる。そのための「判断の物差し」として機能するのが「デザイン」なのです。
2. デザインを「仕上げ」から「判断軸」へ
ただし、多くの企業でデザインは本質的な意味では活用されていません。その一つの要因は、デザインを「決断」のプロセスから切り離し、最後の「仕上げ」として扱ってしまっていることにあります。本来、デザインとは「何を選ばないか決め、何を選ぶか」という経営判断そのものです。しかし、多くの現場では戦略や数値が決まりきった後の「後工程」としてバトンが渡されるため、そこにはもう判断の余地が残されていないことがあります。その結果、デザインは本来の力を発揮できず、社内の意見を丸く収めるための調整や、見た目を整えるだけの役割に留まってしまうのです。
高度化する技術や複雑な経営戦略を、そのまま伝えても相手には届きにくいものです。そこでデザインは、これらを「相手が理解できる意味」に変換し、行動を促すための設計図の役割を果たします。つまりデザインが本来、担うべき重要な役割は「翻訳」なのです。
「判断の技術」としてのデザイン ― 3つのレイヤーによる「翻訳」の実践
この「翻訳」という概念をわかりやすく説明するために、具体的なBtoB企業の事例を想定してデザインを考えてみましょう。ある伝統的な部品メーカーが、自社で開発した「生産ラインの稼働監視システム」を、初めて他社に販売することになったとします。開発部のエンジニアからは「高精度なセンサーとAIの検知アルゴリズムがすごい」という技術仕様書が渡され、経営陣からは「我が社のDXの象徴として売り出したい」とオーダーが来ています。このままでは、難解なスペックが並ぶだけのパンフレットや、読み手を選ぶプレスリリースになってしまうかもしれません。ここでデザインは、3つのレイヤーで「翻訳」をします。
- 【レイヤー1】戦略 → 「価値」への翻訳 まず経営方針や新規事業を、顧客にとっての「価値」に変換します。「当社の50年の製造ノウハウと最新のAI検知アルゴリズムを搭載した、高機能監視システムです」とそのまま伝えるのではなく、顧客の視点に立ってみます。 例えば、「熟練工の勘をデジタル化し、突発的なライン停止をゼロにする『工場の健康診断』サービスです」と翻訳してみます。技術の高機能さを売るのではなく、顧客が本当に欲しい「ラインが止まらない安心(=健康)」という価値に定義し直すのです。
- 【レイヤー2】価値 → 「言葉」への翻訳 定義した「価値」を、伝える相手(決裁者や現場担当者)が普段使っている意思決定の「言葉」に変換します。経営層(決裁者)に向けては、「AI検知」という言葉よりも、「資産寿命の延伸」や「ダウンタイムによる損失コストの削減」という言葉を選びます。彼らの判断基準である投資対効果に翻訳するためです。一方、現場(製造部長)に向けては、コスト削減よりも、「急な呼び出し残業からの解放」や「スマホでどこでも確認できる安心感」という言葉を選びます。彼らの切実な悩み(現場の負担)に寄り添うためです。
- 【レイヤー3】言葉 → 「体験」への翻訳 Web、展示会、商談資料。あらゆる接点で一貫したメッセージが体験される状態を作りま す。「熟練工の勘をデジタル化=やさしい」というコンセプトなら、展示会ブースのデザインに文字情報を詰め込むよりも、「一目で異常がわかるシンプルなモニター」を中央に置き、体験デモも直感的な操作に絞るほうが効果的かもしれません。「言っていること(言葉)」と「やっていること(体験)」が一致して初めて、BtoBの顧客は「この会社は信頼できる」と感じてくれます。
このようにデザインは、矛盾を整理し、どの道を選ぶのかを決めるための「判断の技術」なのです。
■デザイン=「翻訳」の実践(図解の補足)
戦略:AIによる検知機能搭載 ↓ 価値:突発的なライン停止ゼロ ↓ 言葉:呼び出し残業からの解放 ↓ 体験:「やさしい」(一目で異常がわかるモニター/直感的な操作デモ)
デザインはビジネスそのものを変える ― マツダの再生
判断軸としてデザインを捉えると、現場で起きる変化はとても具体的です。何を選び、何を選ばなかったかが、はっきり出てくるようになります。そうしたプロセスを、例えば自動車メーカーのマツダに見ることができます。
①98%の顧客を「選ばない」 という経営判断
2000年代後半、リーマンショックと超円高によりマツダは厳しい状況に立たされていました。当時マツダの世界シェアは約2%。より大きなシェアを持つトヨタやホンダに規模で対抗しようとして「万人受けする車」を作ろうとすれば価格競争に巻き込まれてしまい、結果、利益の出ない構造に陥ってしまいます。
そこでマツダが打ち出した起死回生の戦略が「2%戦略」です。「世界シェアはたった2%でいい。その代わり、その2%のファンが熱狂的に愛してくれる車を作る」という方針に大転換したのです。
これは口で言うほど簡単なことではありません。「2%」ということは、残りの98%の人には選ばれなくてもいいと判断をしたからです。すべての人に売れる車を作ることを手放し、「走る歓びを求める人」だけにターゲットを絞り込む。顧客を明確化し、マツダはデザイン経営の出発点に立ちました。
②売れ筋市場からの撤退
マツダは具体的な製品ラインナップも刷新しました。当時飛ぶように売れていたミニバン市場からの撤退という大きな決断も下しています。日本のファミリー層にはスライドドア付きのミニバンが人気です。マツダの営業現場にしても、絶対に手放したくない市場だったはずです。しかし、マツダは「走る歓び(Be a driver.)」というブランドの思想を純粋に追求し、構造的に走りの良さを実現しにくいミニバンの開発・生産は終了させました。
目先の確実な売上を手放してでも、ブランドの思想を体現できるSUV(CXシリーズ)へリソースを集中させる。社内からは不安の声も上がったことでしょう。しかし、この一貫した判断があったからこそ、マツダのブランドは「走りが好きな人のためのメーカー」へと、一気に解像度を高めることができたのです。
③リサーチに頼らず、美意識で決める
デザインのプロセスも大きく変わりました。通常、自動車のデザインは市場調査(マーケットイン)から始まり、いま流行りの顔つきや競合メーカー車より広い室内といったデータを積み上げて正解を探します。
しかしマツダは、そうしたアプローチを変えました。当時のデザイン本部長は「魂動(こどう)デザイン」を掲げ、マーケティングデータから導き出されたものではなく、生き物が動き出す瞬間の美しさを追求するためにチーターが獲物を狙う姿などをモチーフにしたオブジェをまず作り、そこから車の形を導き出すという、常識にとらわれない手法をとりました。むろん社内からは「抽象的で売れないのでは」「もっと室内を広くすべきだ」という意見もありました。しかし、最終的にブランドの美意識を全車種に貫通させたのです。
④学ぶべき「弱者の戦略」
こうしてマツダは、デザインを武器に「選ぶ決断」を行い、復活を遂げました。「シェア2%」は決して弱みではなく、「2%の人を熱狂させる」ための条件になり得るのです。機能を並べるのではなく意味を届ける。合意形成だけではなく、意志によって決める。デザインを判断軸にするということは、「自分たちは何者であり、何者ではないのか」という線引きを明確にし、商品開発から広告までを一気通貫させることです。
そこに顧客の心を動かすブランドの秘訣があります。マツダのこの事例は、シェアの低いBtoB企業にこそ、大きなヒントになるはずです。
デザインを武器にすれば、これからの仕事は、もっと自由でもっと面白い
では、デザインという「判断の物差し」を現場で使いこなすには、明日から具体的にどのような意識を持てば良いのでしょうか。必要なのは、特別なツールや技術ではありません。日々の業務の中で、自分への問いかけをほんの少し変えてみることだけです。「調整役」から「意思決定者」へ。仕事をもっと面白くするヒントをご紹介します。
①「全員」に好かれようとしない。あえて「偏らせる」勇気を持つ
デザインを武器にするための第一歩は、「選ぶこと」を楽しむマインドセットです。まず、企画書を書く時は「全員に好かれよう」とせずに「たった一人を熱狂させる」勇気を持ってみてはいかがでしょうか。「98%の顧客を選ばない」と決めたマツダのように、ターゲットを絞り込むことは、その「選ばれた人」との絆を深めるチャンスになります。
もちろん、BtoBのように顧客との接点が限られる場合、奇をてらわず、あえて「王道のトーン&マナー」を選ぶことが経営的には正解というケースもあることでしょう。重要なのは、それが「前例を踏襲しただけの無難さ」なのか、信頼を勝ち取るための「戦略的な選択」なのかを自覚できているかです。
また、デザインを判断軸に持つことの良さは、「今回はあえて、ここを選ばない」という意図的な偏りも選択できる点にあります。例えば、「今回はエンジニアに刺さるスペック重視だから、情緒的な美しさは控えめにして泥臭くいく」あるいは「ブランドの革新性を伝えるために、わかりやすさを多少犠牲にしてでも尖った表現にする」といった判断です。このように、目的のために何を優先するかを明言し、戦略的に「偏らせる」勇気を持つことで、クリエイティブは初めて市場に深く刺さるものになります。
②戦略の「ズレ」を、実装前に発見する
デザインを前工程に入れる真の目的は、単にきれいな資料を作ることではなく、「戦略のズレ」を実装前に発見することにあります。多くの新規事業や施策は、企画書の文字情報の段階では完璧に見えますが、いざ具体的な「形」に落としてみると、「意外と魅力が伝わりにくい」「顧客メリットが不明瞭だ」といった課題が見つかることがよくあります。
デザインの視点を持つ人は、議論の最中に「それって、顧客にはこういう体験として届くということですか? 形にしてみたら戦略と体験に少しズレがありました」といち早く気付き、軌道修正を提案できます。この「可視化による戦略のブラッシュアップ」こそが、デザインがもたらす大きな効果です。
③「企業の人格」を共有する
ブランドの一貫性は、細かいガイドラインを守るだけでは生まれません。ルールで縛れば縛るほど、表現は窮屈なものになりがちです。目指すべきは、ルールを守ることではなく、むしろチーム全体としての「企業の人格」の共有です。
「ウチの会社なら、こういう時こう言うよね」「こういう態度はとらないよね」そんな美意識がチーム全体に浸透していれば、細かいルールがなくてもアウトプットはブレないのです。毎回説明しなくても、全員がその会社らしい判断を自律的に行える状態を作る。これこそが、デザインがもたらすメリットであり、競合が真似できないブランディングとなります。
仕事は「点」から「線」の資産へ
AIが台頭し、誰もが手軽に正解を手に入れられる現代。「デザインのわかる視点」を持って働くことは、仕事をどう変えていくのでしょうか。これだけ変化の速い時代に、絶対的な正解など存在しません。
AIが論理的な最適解を瞬時に出せるようになったいま、人間がやるべき仕事は「正解を探すこと」ではなく、「正解を作る(決める)こと」にシフトしています。「データはAと言っている。でも、私たちの美意識はBを選びたい」。そうやって意志を持って選ぶことに、企業の独自性が宿ります。デザインという判断軸を持てば、「私たちがどうありたいか」を起点に、ビジネスを自由に設計できるようになるのです。
そして最も大きな変化は、仕事が「点の作業」から「線の資産」へと変わることです。ブランディングは、特別なプロジェクトとして突然立ち上がるものではありません。日々のマーケティング活動やコミュニケーションの中で下された短期的な判断の積み重ねが、時間をかけて長期的な信頼や愛着に変わっていく。その中心に立ったマーケッターの視点は、ブランディングにおいて極めて大切な役割を果たします。
今日打つ、たった一つの施策、たった一行のコピー。それら一つひとつは小さな「点」かもしれませんが、その点が積み重なり、一貫したメッセージとして顧客の記憶に残った時、それは初めて「ブランド」という揺るぎない信頼に変わります。そうした実感が持てれば、日々の仕事は単なる作業から会社を育てる「資産づくり」へと変わっていくはずです。
「デザインのわかるマーケッター」とは、かっこいい絵を描く人ではなく、「何のために、誰のために、何を選び、どう届けるのか」を、意志を持って決められる人のことなのかもしれません。忙しい現場では迷うことも多いでしょう。しかし、ふと立ち止まって、頼れる「判断の物差し」としてのデザインを思い出していただけると嬉しいです。(完)
(引用:BtoBコミュニケーションズ 2026年3月号)
平野智也 Tomoya Hirano
株式会社ハル
執行役員・クリエイティブディレクター
<プロフィール>
東京の制作プロダクションで国内の大手企業の広告制作に従事した経験を経て、株式会社ハルに入社。現在はクリエイティブディレクターとして、主にBtoB企業の様々な業種の課題解決施策に関連したクリエイティブに携わる。


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