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コラム

石井淳蔵先生の好奇心 好評連載第5回
「中内功さんと小林一三さん、その共通する思想的背景」

テーマは「ハルの学園祭」

これまでの回では、中内さんは、小林一三さんが創り上げた大正モダンの文化の中で育ちそれに親しみを感じていたこと、長じては小林一三さんの展開したビジネスモデルを真似て、福岡や神戸の地域活性化に挑んだことを述べた。中内さんは、小林さんの事業展開をお手本とするだけでなく、思想的にも共感していた。実際、小林語録を自ら編集し出版しているほどだ(中内功『小林一三経営語録』ダイヤモンド社)。

中内さんは「デモクラシー」を信奉した。3つのデモクラシーがそれだ。①特権階級だけが享受する贅沢を大衆のものとする「生活デモクラシー」。②メーカー独占を打ち破り消費者が望む商品を作る「経済デモクラシー」。そして、③誰もが等しく自由であり誰も特別な存在ではないとする「思想としてのデモクラシー」である(拙書『中内功:理想に燃えた流通革命の先導者』PHP研究所)。

小林さんも同じ思いをもっていたのではないかと、私は思っている。そう思うのは、小林さんは近衛内閣の商工大臣だった時のある行動を通じてだ。

昭和15年、近衛首相の肝いりもあって商工省内部から「民有国営化案」が出てきた。「資本は民間が持ち経営は国が行う」ことを骨子とする案だ。利益志向の経営者に経営を任せず、国つまりは官僚が国や社会の要求を勘案しながら会社を経営するという思想だ。

小林さんは敢然とこれに反対した。「社会主義の考え方だ。資本主義・自由主義の国には似合わない」と考えたのだ。政府内で政策上の対立が生じたのだが、社会の秩序は官僚によって作られるのか、自由な競争の中で生まれるのかについての思想的な対立でもあった。

民有国営化策は、遠い話ではない、それは現代にも続いている。現代のわが国においては、企業のもっとも戦略的な決定は官庁の許可なくしてできないことが多い。獣医学部を設置したくても文科省の認可が必要だ。電力や鉄道や金融などの業界では、関係省庁の許可なくして価格の変更もできない。現代にも続くこの体制を、経済学者は「1940年体制」と呼んだ。

中内さんが戦後、デモクラシーを旗印に挑んだものは、実はこの1940体制ではなかったか。その詳細は機会をあらためて紹介するとして、ひとまず中内さんには、小林さんと思いを共有する目に見えない思想の絆があったことを紹介したい。

〈了〉

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